音の数が限られているのに、いい曲がこれ以上生まれるのだろうか。
小さい頃からの心配事だった。
いまや新しい楽器が生まれる事も稀で、大抵の音色ならコンピュータで再現できる。
90年代以降、いやむしろそれ以前からある名曲のフレーズをパクらずに名曲を創りだそうとか無謀だと思う。
人間が心地良く感じるコード進行なんて何パターンかしかなく、
あとは半音ずつ上がって一周するまでの数しか存在しない。
実は音楽著作権に「4小節まではパクっていい。」という決まりがある。
著作権法は意外にぬるい。
でも音楽ってそんな決まりに縛られるもんじゃないと思う。
パクりと言われても自分が「このサウンドが心地いいだろうが!」
とみんなに聞かせてあげればそれでベストじゃないか。
絵だってそうだし、言ってしまえばみんながいいって思う事は
例えば車の技術だってなんだって、全てのものを作る事が経済の規定に則ってやる必要はない。
進化させていけばいい。
だが、芸術以外の事は規格が無いとうまく進化できない。
規格が無い中で色々なものを作っても、たとえば車だったら
このエンジンはこの車でしか使えない。このマフラーはこの車でしか使えない。
というふうに特化すると、一般化されない。進化のスピードが遅くなる。
規格の中で作るしかなくなる。もう経済の思うツボだ。
さらに音楽や絵とかの芸術と、車その他の経済的なものづくりの違いは、
作り手がお金をもらわないでも作るかどうかだと思う。
先に挙げた車の技術の進化のためには、技術者の苦労があり、その対価としてお金が支払われている。
好きな事だとしてもそこまでの技術を得るまでには並大抵の努力ではない。
芸術はどうだろう。歌いたいヤツは歌うだろうし、絵を描きたいヤツは絵を描くだろう。
法の規定がある事自体変じゃないか。無理矢理経済として成り立たせている事に違和感を感じる。
そもそも芸術家がそれで飯を食う事自体がおかしいという事になってくる。
現にそうなってきているんじゃないか。
芸術の末路が見えない。
だがそれがいい。